!高校生設定

スリーアウトチェンジ

蒸し蒸しとした暑さに包まれている日曜日、氷帝学園テニス部はいつも通り朝から練習で、変な感じに張り切っている跡部のせいで疲労が溜まるスピードといったらなかった。

水分を補給しにコートの隅へ行くと、俺の目はフェンスの向こうに見慣れない制服を纏った坊主頭の集団を捉えた。担いでいる道具や独特のエナメルバッグからするに野球部で、うちの野球部とオープン戦をするために出向いてきたらしい。

そういえば来月には東東京大会が始まるし(この時期はどの学校でもオープン戦の量がぐっと増える)、野球部マネージャーであるクラスメートのが、不器用な手つきながらも一生懸命部員のためにお守りを作る姿を毎日のように目にしている。野球部員がうらやましく思えた……、気がしないでもねえ。「宍戸も手伝って!」と裁縫道具を突き出されたこともしばしばだ。

家族そろってヤクルトファンの宍戸家では、この時期高校野球も話題の中心に上る。氷帝の野球部はといえば、学費が高い分といえばそうなのか、立派なグラウンド、いや、ちょっとした球場レベルの施設を持っていて秋のブロック予選会場にもなっている。こないだが「照明灯が増えたの!」と喜んでいたから、夏に向けて設備はより充実していっているようだ。

テニス部ほどではないが、学校側はそこそこ野球部に金を掛けていると思う。ただしそのぶん野球部が結果を残せているかと言えば、それは否定せざるを得ない。なんたって東東京は全国屈指の激戦区だし、単純にコストの分だけ勝てるならどこの学校だって金を湯水のように使うだろうが、スポーツはそんなものではない。

「お、野球部は試合なんか」

いつの間に隣に来ていたのか、忍足がドリンクを手につぶやく。

「今年はどこまで行けるんやろな、東東京大会」

「どうだろうな、そんなに強いわけじゃないし、激戦区だし。都立も強くなってきてるしな」

が今日の試合でウグイス嬢やるいうてたで」

が?」

「野球部はしかマネージャーおらんし、ウグイス嬢が一番好きな仕事なんやって」

なんで忍足はのそんな情報を知ってんだよ。

そう思ったのが顔に出てたのか、忍足はにやにやと気持ち悪い笑みを浮かべて「去年同じクラスやってん」と言い捨ててコートに戻っていった。

それから一時間半ほど経ったころ、練習は終了となった。通常の休日練習よりかなり早く終わったのは、これからテニスコートの工事が入っているからだ。

まだじりじりと照りつける太陽は真上に来ていない。どうするか。まっすぐ帰ってヤクルト対カープの中継でも観っかな。思案する俺につつつと寄ってきた忍足(……きめえ)が、「野球部の試合観に行かん?」と誘いをかけてきた。

「野球ファンとしては気になるやろ。相手校、埼玉の古豪やで」

「……まあな」

「決まりやな」

「アー、オリーックスバーファローズ」と口ずさみながら野球場へ向かう忍足の後を追う。試合も気になるけど、試合よりが気になって行くことにしたのはいわないでおく。忍足にいうとめんどくせえことになるからな。

野球場にはスタンドまで設置してある。公立校からすれば垂涎モノだろう。ベンチに入れなかった部員や、応援に駆けつけた各校の家族やファンで席は半分ほど埋まっている。ホームである一塁側に腰を下ろしたとき、マイクのスイッチが入ったことを知らせるプツン、という音がスピーカーから漏れた。

「大変長らくお待たせいたしております。本日の第一試合、氷帝学園高校と川越東工業高校の試合に先立ちまして、両校のスターティングラインナップならびに審判をお知らせいたします。先攻・三塁側……」

え、おい、この声ほんとにかよ!?教室ではこんな声出してねえだろ!ぎゃーぎゃー騒いでるじゃねーか!何なんだよ、デパートのねーちゃんみたいな声出しやがって!

驚く俺を尻目に忍足はの流れるようなアナウンスに夢中だ。がウグイス嬢をやることは分かっていたのに、それがまるで予想外の出来事であったかのようにどきどきした。うわ、激ダサだぜ、俺。

バックネット下の放送席に目をやると、そこでメンバー表を手にアナウンス原稿を読んでいるのは紛れもなくあので、呆然とその横顔を見つめていると、何気なしにこちらを向いたの目が一瞬見開かれて、すぐ元の形に戻って球審の名を告げながら手をひらひらと振ってきた。

心臓を鷲掴みにされたのは、きっと気のせいじゃねえ。

2009.06.18