今日は珍しく部活がなくて、みんな嬉々として帰路についていった。真田は「たるんどる!」とか言ってたけど。わたしもここぞとばかりに家で漫画を読んだりテレビを見たり、やりたいことはいくらでもあった。
でもそれは会計作業というものに取って代わった。……マネージャーなんてそんなものだよね。
誰もいない部室の扉を開ける。いつもは部員で溢れている部室を独り占めしているような気がして、ちょっとわくわくした。……のに、目につくのは散乱した練習着とかゴミとかジャンプとか。つい数日前に掃除したばっかりなのに。どうせワカメみたいな頭の後輩とか、糖分大好きな同級生が犯人だろう。いたずらも含めて、何かやらかすのは大抵その二人だから。
わたしは一つため息をついて、机の引き出しから帳簿と大量の領収書、電卓を取り出して、会計作業に取りかかった。普段ならこのひどい有様の部室掃除に手をつけるところだけど、あいにく今は会計を優先させなければならない。月に一度は金銭収受を報告しなきゃいけなくて、家でやることも可能なんだけど、心配性なわたしは家と学校との間で領収書を失くしてしまいそうな気がして、領収書を持って歩きたくないのだ。
それにしても、立海大学附属中学校というのは、こんな会計作業を一中学生に任せていいのだろうか。
領収書の山が八割ほど片付き、一息つくことにした。ふと壁に掛かっている時計を見上げると、その針は午後四時三十六分を指していた。
早く帰りたい。だけど終わらせなきゃ幸村に視線だけで殺される。あーあ、柳生がいれば。紳士の柳生なら手伝ってくれたはず。文句を垂れたって終わるはずがないのに、わたしは心の中で幸村に悪態をつき続けた。
「あれ、先輩、何やってるんスか」
背後から突然声をかけられ、つい大きく肩が動いてしまう。振り返るとそこにいたのは部室を散らかす常習犯の一人・赤也だった。
……幸村じゃなくてよかった。肝が冷えた。
「え、ああ、帳簿をね、つけてたの」
「ふーん、大変っスね」
聞いといてそれかよ!
そうツッコミたい気持ちを抑え、若干頬が引きつったまま笑顔を向ける。
「赤也は? 帰ったんじゃなかったの? っていうか何しに来たの?」
「ちょっ、聞いて下さいよ! なんか俺だけ英語の補修やらされたんスよ! 他にも赤点の奴いたのに!」
赤也はブン太にお菓子を盗られただの、授業に遅刻しそうで廊下を走っていたら先生じゃなくて真田に捕まって「走らなきゃいけないほど時間に注意がいかないなんてたるんどる!」って怒られただの、授業中に寝てて先生に怒られただの、補修では問題を全然解けなくて先生に呆れられただの、お姉さんにジャンプを買ってきてと頼んだら赤マルジャンプを買ってくるというお母さん的間違いをやらかしてくれただの、延々とものすごくどうでもいい話を聞かされた。
わたし、お茶でも飲んで休憩するつもりだったんだけど。でもちょっと赤也が不憫だった(特にジャンプの話)から、反応はしてあげた。しっかり赤也のペースに飲まれている。
「それで? 部室には何しに来たの? 忘れ物?」
「質問してもいいっスか」
「(だから聞けよ人の話を!)……スリーサイズなら教えないよ」
「知ってるからいいっスよ」
「え、何で知ってんの!」
「仁王先輩が言ってたから」
……幸村に黒魔術でも教えてもらおうかな。ていうか、何で仁王はわたしのスリーサイズを知ってるんだろう。間接的なセクハラだよこれ!
「じゃなくて!あの、先輩、えーと、その、」
「なに?」
「部内で、あ、いや、部内じゃなくてもいいんスけど好きな人とか、付き合いたいとかいう人っているんスか」
「えー……、わたし、部内恋愛とかクラス内カップルとかって面倒なことになりがちだから嫌なんだよね。だからいない」
想定外の質問にちょっと驚いたけど、努めて冷静に言葉のボールを投げ返す。
「……かっこいいとかも思ったりしません?」
「思っても思わなかったことにする。のめり込んだら怖い。でも、仁王の顔をかっこいいと思ったことくらいはあるよ」
「……俺は?」
「は?」
「俺のことは、かっこいいって思う瞬間、ないんスか」
いつもだったらそんな質問、軽く流せたはずだった。だけど、さっきとは打って変わって赤也の目がまっすぐわたしを捉えていたから、目をそらすことすらできなくて、うまくかわすことなんて到底できるわけがなかった。
部内恋愛を面倒だと思うのは事実。でも赤也のことを少しばかりいいな、と思っていたりするのも事実で、その気持ちを押し込めているのも事実。赤也がわたしの両肩を掴む。逃げられない。
「あ、あかや、わたし、帰らなきゃ」
「じゃあ一緒に帰ります」
「ほ、方面違うし」
「送っていくに決まってるじゃないスか」
ああ、やっぱり逃げられない。答えなきゃ、何か言わなきゃ。
でも。往生際の悪いわたしはまだ「部内恋愛はなあ」だの「周りに迷惑が掛かるようなことになったら嫌だし」だのといった言葉がぐるぐると頭を駆け巡っていた。
その一方でおちゃらけているときと今みたいな真剣な顔をした赤也のギャップにしっかりときめいている自分の存在を妙に冷静に認識していた。
「先輩、好きって言っていいっスか」
とうに読まれていたのだ、わたしの本心なんて。
2009.05.04