深夜の空中カクテル

ワインよりカクテル。お酒が得意でない人にとっては、甘いカクテルはありがたい存在だ。ただし、当然その甘さの裏には度数が隠されている。身をもって知っていても、わたしは何度でも過ちを犯すのだ。

さんさあ、先週もお酒で失敗したよね。もう何度目?」
「えー、そんなの数えたこともないよ」

ため息をつく蛍に水を手渡され、素直にそのまま呷る。アルコールが入った頭で、蛍のため息が呆れの要素であることを理解する気はない。

わたしのかわいい年下の幼なじみ、月島蛍は、とても優しい子だ。根が純粋すぎるから、ちょっと誤解されやすいだけなのだ。優しくなければ、こうやって酔いが入った幼なじみの相手なぞしてくれない。アルコールに踊らされた人ほど厄介なものはないのだから。

「……何を飲んでるの?」
「延々とムーンライト・クーラー」
「あのさ、さん、自分がお酒に弱いこと知ってるよね?」
「だってビールも日本酒も飲めないし、カクテルは甘くて飲みやすいから」
「それ耳にたこができるくらい聞いた」

暖色系の電灯の下で蛍はもうひとつため息をつく。右手でなめらかにスマートフォンの画面をなぞって「ふーん、ムーンライト・クーラーって初めて聞いたけど、結構いろいろ混ぜてるんだね。カルヴァドス、レモンジュース、砂糖、ソーダか。」

こうやってすぐにパソコンなりスマートフォンなりで調べてしまう辺り、蛍は現代っ子だと思う。

「そりゃあ未成年は知らなくても当たり前だよ」
「カルヴァドスって何?」
「要はアップル・ブランデー。ノルマンディー地方で作られたものだけはカルヴァドスを名乗ることが出来るんだって」
「お酒に弱いのに、そういうこだわりはあるんだね」

あ、また馬鹿にされた。皮肉なことに、皮肉をいうときの蛍は、ムキになっている感じがして、子どもっぽくてかわいい。本人に伝えたら渋い顔をするに違いないから黙ってるけど。

グラスの底が見えてきたので、わたしはまたアップル・ブランデーの瓶を手に取る。カルヴァドスは近所のスーパーには置いていなかったし、宅飲みならアップル・ブランデーで十分だ。

さん」

顔を上げなくても、今蛍がどんな表情を見せているのか手に取るように分かる。端的にいうと、呆れた顔。分かっているのに素知らぬふりをして、「何?」と返すわたしは悪い大人だ。瓶を傾けると、きれいな曲線を描いてタンブラーにブランデーが溜まっていく。

「もう必要以上に飲んだでしょ。これで終わり」

スマートフォンの画面に並ぶ文字列の通りにレモンジュース、シュガーシロップが注がれ、蛍は高校生とは思えない熟れた手つきでそれらをシェイクする。グラスをカクテルと仕上げのソーダで満たし、縁にはレモンスライスが飾られた。

「何で出来るの……」
「見よう見まねだよ」
「かわいくない」

「これで終わり」との言葉通り、アップル・ブランデーもレモンも何もかも片付けられてしまった。さすが長年のつきあいを誇る幼なじみ、勝手知ったる我が家といった感じか。先週もこうしていわゆる宅飲みを展開して、自宅だからと油断して酔いつぶれた。飲まなければやってられない気分だったのだ。

わたしはグラスを傾ける動作とともに、苦い記憶を反芻する。好意を抱いていた男性に一方的に振られた。いや、振られたという表現には語弊があるかもしれない。バイト先の社員である彼に恋人どころか妻子がいることを告げられたのだ。

わたしたちは付き合っていたわけではないしキスもセックスもしていないけど、確かに彼はわたしを好きだと言った。これは勘違いでも妄想でもない。ただ、その事実を告げる順番はおかしかった。妻子の存在をさりげなく話題に絡めた後に、「まあ、今はが好きなんだけどさ」などと宣った。

さん、今自分がどんな顔してるか分かってる?」
「……うん、大体」

第一わたしに好きだという前に明らかに好意を向けていたのだ、あの男は。期待させるだけさせておいて突き落とす。ただし、わたしたちには「付き合おう」だとかそういった口約束も契約もなかった。だからわたしが一人で「裏切られた」と失意の底に沈むのはお門違いなのである。掴めたようでいて、何も掴めていなかった。そう簡単に甘いものは手に入らない。裏や落とし穴は必ず潜んでいる。

またため息が零れる。ああ、せっかく蛍がカクテルを作ってくれたというのにまずくなってしまう。

「先週もそんな風に飲んでてさ、偶然僕が来てなかったら大変なことになってたよ」

彼に振られたのはちょうど二週間前だった。今日だけでなく先週末も飲んだくれ、月島のおばさん特製の揚げ出し豆腐を差し入れに来てくれた蛍に止められた。そして今日もまた同じことを繰り返している。愚か者。

「もうちょっと自分を大事にしなよ。女の子なんだから」

蛍はわざとらしく大きなため息をつく。呆れながらも蛍は優しい。わたしは残りわずかになったカクテルを飲み干してしまおうとグラスを呷ろうとする。

「僕の言ったこと聞いてた? 一気飲みとかだめでしょ」
「相変わらず蛍はかわいくもあり優しくもあるんだねえ」
「……酔っ払い」

カラン。タンブラーの中で氷が崩れる音がした。だいぶ氷は溶けてしまっていて、カクテルと水のバランスも崩れているに違いない。せっかく蛍が作ってくれたのに。

さん」

名前を呼ばれてはた、と顔をあげると、何かがわたしの唇を掠めていった。

「かわいいって言われても嬉しくないから。あと、先のない恋愛ばっかりするのはもうやめれば」

満月みたいなきれいな髪色が玄関へ向かい、わたしはアルコールの満ちた頭で残されたグラスの冷たさと唇の熱の意味を考えた。

2016.05.04

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